14.遷化

 弘長2年・西暦1262年、11月に入り親鸞聖人は病床に伏します。側には娘・覚信尼と数名の同行が侍っていました。

親鸞 「某(それがし)閉眼せば、賀茂河にいれて、魚(うお)にあたうべし(私の命が尽きれば賀茂川に流して魚にあたえておくれ)」(『改邪鈔』聖典p690
覚信 「そのようなこと、私にはできませぬ。」
親鸞 「幼き頃、賀茂川には名も無き弱き人びとの多くの骸があふれていた。あの光景が私の求道の始まりなのだよ。これから私は阿弥陀如来のお誓いのごとく、あの人たちと同じ極楽浄土に生まれるであろう。そして、私の往生もまた、後に残る人々が仏道を歩む縁となることを望むのみ」
覚信 「それでも、それでも私は寂しゅうございます。これより先、何を頼りにしていけばよろしいのですか」
親鸞 「念仏申す時、私たちは常に一緒じゃ。阿弥陀如来の本願を頼りに念仏申せ。よいな。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」
覚信 「お父さま?お父さまーっ」
弟子 「お聖人さまーっ」

 11月28日、親鸞聖人は生涯を閉じられました。多くの苦難の道を歩み、その命を仏道に捧げた90年の生涯でした。

 以来750年、親鸞聖人の本願念仏のみ教えは、民衆が生きる糧となって、脈々と受け継がれてきました。
 その教えは、現代に生きる私たちにも、真の自由と平等、共に生きる世界を問い、また生きる苦悩に寄り添い、励ましつづけてくださるものなのです。