6.妻帯

 法然上人にとって親鸞聖人は、教えを正しく理解している弟子というだけではなく、教えが人生の上に実を結んだ頼もしい弟子であったに違いありません。

法然 「日々の生活の中で、念仏と共に生きることができるよう身を処すことが肝要です。聖(ひじり)であっては念仏を申せぬというのであれば、妻を娶って申すがよい。妻を娶っていては念仏できぬのならば、聖となり念仏なさい」

 この教えを受けた親鸞聖人は、出家在家の差別無く生活と一体化した仏教を喜びとし、結婚妻帯へと踏みだします。相手は共に法然上人の教えを聞く、九条兼実(かねざね)の家来・三善為教(ためのり)の娘でした。

親鸞 「ともに念仏の響く家庭を作ってゆきましょう」
恵信 「はい」

 そう頷いたこの女性が、後の恵信尼さまです。

 しかし、親鸞聖人は、因習にとらわれる世間や仏教界からは秩序の逸脱、破戒の者と非難されました。

民D 「ほら、あれやない。噂の坊さんいうんは」
僧兵 「くそーっ、あのような者があってよいのか」

 法然上人の教えは仏法を第一としたまでで、世の習わしを否定したわけではありません。ただ、念仏によって自由と平等を手に入れることが、結果的に世の習わしにそぐわなかったのです。