真宗大谷派(東本願寺)大阪教区の御遠忌情報

『東日本大震災追悼音楽法要』

2013年04月28日 日曜日  投稿者  カテゴリー教区御遠忌

『東日本大震災追悼音楽法要』は、
・仏教賛歌
・法要
・地震・原発事故による被災者・福島からの声と言葉
・現地本部からの報告
・詩の朗読
といったプログラムで行われました。

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思えば東日本大震災は2年前、本山での御遠忌の直前に起きた出来事でした。そのことによって、御遠忌の意味と、それを通して何を伝え何を受け継いでいかねばならないかが問い直されました。
今なお続く被災者のみなさんの悲しみと苦しみを忘れないよう、また単なる天災ではない時代社会の問題を問うことを私たちは続けていかねばなりません。

そのことを大阪教区での御遠忌で改めて課題としたことです。

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「日本は先の大戦で、1945年8月6日に広島、8月9日に長崎に原子爆弾の投下がなされ無残な大量虐殺が行われました。その被爆の恐怖と核兵器の愚かさはいまなお語り継がれ、国際的にも核廃絶の願いは共有されるようになってきました。
しかし、戦後は一方で「原子力の平和利用」という名のもとに、あたかも「毒を以て毒を制す」ということをうそぶきながら原子力発電所を作り続けてきました。原発は、地震大国の日本列島に54基も建てられ、地方から都市への電気を供給してきました。しかし、原発は安全どころか際限なく被爆労働者を生み出し、一旦事故あれば、目にも見えない、音もしない、匂いもしない放射能汚染を蔓延させるもので、その使用済核燃料の廃棄は心ある学者から早くから警告されてきたにもかかわらず「経済優先」の国策のもとに推進されてきました。
ただ、的確で十分な情報にふれる状況になかったとはいえ、その国策そのものを無意識に支え、容認してきたのは、他ならぬ私たち一人ひとりではなかったでしょうか。
しかし私たちは、3.11の大震災で起こったことを目の当たりにし、共通の体験として原発の危険性をまさに知ることとなったのであります。
今こそ、われらは、みほとけの大いなる本願の心に立ち帰り、宗祖親鸞聖人のお言葉にある「薬あればとて毒を好むべからず」の教えを道しるべとしていこうではありませんか。
浄土の世界に立脚して、この世の現実と安危を共にせんことを心より願い、むすびの詞といたします」(むすぴの詞より)

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